ソウルで日本語の看板が最も自然に街並みに溶け込んでいるのは、明洞でも梨泰院でもありません。地下鉄4号線の二村(イチョン)駅を中心とする龍山区東部二村洞——アパート団地と商店街だけで構成された、観光客がほとんど訪れない住宅地です。それでもこの街は、60年近くにわたってリトル東京と呼ばれてきました。なぜこの土地だったのか、そして長い歳月を生き延びてきた店はどこなのか、まとめてみました。
まず結論から
- 東部二村洞は1965年 日韓国交正常化 → 1970年代 外国人アパート → 日本人学校の通学圏という三段階で形成された、ソウル最大の日本人居住エリアです。
- この街の飲食店の最大の特徴は、看板ではなく商業ビルの地下にあること——新東亜ショッピングセンター・レックス商店街・LGプラザ・豊原(プンウォン)商店街の地下が、事実上の「食堂街」です。
- 長く残っている店は日本食が半分、韓国料理・デザートが半分。1987年創業のハンヤンスナック、1998年創業のスズランテイ、20年以上続くトンビンゴのかき氷が主軸です。
なぜ二村洞に日本人が集まったのか
三つの要素が重なりました。外交関係、アパート、そしてスクールバスのルートです。
発端は1965年の日韓国交正常化。ソウルに赴任した日本大使館の職員とその家族が住まいを探し、東部二村洞に居を構えたことが始まりでした。1970年代に入ると、この一帯に外国人向けアパートが建設され、居住地としての集積が進みます。当時のソウルでは、都心へのアクセスが良く、かつ安定したアパート団地が整ったエリアはまだ珍しかったのです。二村洞は、ソウルで最も早く造成されたアパート地区のひとつでした。
この街の背景 — 三層に積み重なった外国人コミュニティ
- 1965年 日韓国交正常化。大使館職員とその家族の定住が始まる。
- 1970年代 外国人アパートの建設 → 日本人集住地が形成。同時期、近隣の龍山米軍基地の影響で西洋式レストランも増加。
- 1972年 ソウル日本人学校が開校(幼稚園・小学部 32名でスタート)。現在の校舎は麻浦区上岩洞にありますが、スクールバスの路線が二村洞を通っているため、子どもがいる日本人家庭は今もこの街に住まいを求めます。
つまり二村洞の日本人コミュニティは、観光商業地ではなく生活インフラの上に成立した街なのです。梨泰院や弘大の「外国人ストリート」とは性格がまったく異なる理由がここにあります。この街の日本語看板は、客を呼び込むための仕掛けではなく、実際の住民に向けた案内表示に近いものです。アパートの商店街には韓国語と日本語が並んだ掲示板が残り、街区のあちこちに日本食材を扱う店があります。
東部二村洞の店は、なぜ通りから見えないのか
その大半が、アパート団地の商業ビルの地下か1階にあるからです。 この街には、いわゆる大通り沿いの商業エリアがほとんど存在しません。そのかわり、団地ごとに付属する商業ビルが食堂街の役割を担っています。初めて訪れた人が二村路(イチョンロ)をただ歩いただけで「食べるところがない」という印象を持って帰ってしまうのは、そのためです。
地図を頼りにするより、商業ビルの名前を覚えてしまうほうが早いでしょう。
🏢 東部二村洞 商業ビル別 老舗マップ — この表が、実質的な食堂街マップです
| 商業ビル | 所在地(道路名) | ここにある老舗 |
|---|---|---|
| 新東亜ショッピングセンター 地下1階 | 二村路 352 | ハンヤンスナック (1987) |
| レックス商店街 | 二村路 300 一帯 | サヌッキ (1990年代初頭) |
| LGプラザ 地下1階 | 二村路 200 | ソダムカルグクス (ヒョンデサムゲタンの系譜) |
| 豊原(プンウォン)商店街 1階 | 二村路 182 | ザ・ルーシーパイキッチン系列 |
| チャンミマンション商店街 | 二村洞 一帯 | ブレッド05 (2012) |
| 二村路 大通り沿い | 二村路 319 | トンビンゴ (かき氷) |
初めて訪れる人への3つのポイント
- まずは商業ビルの地下へ降りてみてください。1階だけ見て回ると、この街の飲食店の半分を見逃します。
- 平日の昼を狙いましょう。地元の生活圏なので、週末の夜よりも平日12〜13時のほうがかえって活気があり、日曜定休の店も多くあります。
- 現金・口座振込のみの店があります。昔ながらの粉食・デザート店ほどその傾向が強いです。少額の現金を持っておくと安心です。
東部二村洞で、地元民が何十年も通い続ける店はどこか
以下に紹介する9軒は、① 最低10年以上、大半が20〜40年営業 ② 二村駅から徒歩圏内 ③ 観光客の流入ではなく、地元の常連客によって支えられてきた店という基準で選びました。新しくできた話題の店はあえて外しています。東部二村洞はここ十数年、公務員市場一帯を中心に新店の出店と閉店を繰り返してきましたが、住民が実際に通い続けている店は、そうした波を乗り越えてきた側なのです。
まずは、この街の個性を代表する4軒から。
日本サイド — 住民が食べる日本食
1. スズランテイ(すずらん亭, 1998年〜) — この街の日本食の象徴です。1990年代の二村洞日本食ブームを牽引したミタニヤの元オーナー、三谷正樹(みたに まさき)シェフが1998年に始め、以来ずっと自ら厨房に立ち続けています。厨房にもホールにも日本人スタッフが多く、客よりも店側のほうが「日本」であるという、稀有な店です。家庭料理の弁当形式の定食と丼もの、鍋定食が中心です。
2. サヌッキ(レックス商店街, 1990年代初頭〜) — 1990年代初頭、東部二村洞に豚カツ鍋・日本式丼もの・ラーメンという新ジャンルを持ち込んだ先駆者です。看板メニューの豚カツ鍋は、揚げたての豚カツを甘辛い鍋つゆに入れ、溶き卵と玉ねぎとともに煮込んで仕上げます。生サーモン丼・うなぎ丼・牛丼・カツ丼など、丼もののラインナップも当時のまま。住所は二村路300。
3. ミタニヤ(三益商店街) — サヌッキと同時期に、マグロ丼やエビフライで愛された店です。スズランテイのシェフが初めて名を上げた場所でもあり、この街の日本食の系譜を語るうえで欠かせません。
韓国サイド — 地元の食堂と粉食
4. ハンヤンスナック(新東亜ショッピングセンター 地下1階, 1987年〜) — 1980〜90年代、この街最大の娯楽施設だった新東亜ショッピングセンターの地下の軽食コーナーで唯一生き残った店です。1987年に「ハンヤンチキン」として開業し、1995年に現在の名前に変わりました。小麦トックが圧倒的多数だった1990年代初頭から30年以上、分厚い米トックだけを使い続け、ごぼうの甘煮がキンパの3分の1を占める「ごぼうキンパ」がこの店の象徴です。イカの天ぷらも長年の人気メニュー。
5. ソダムカルグクス(LGプラザ 地下1階) — 店自体は10年余りですが、系譜は長く続いています。1990年代前半から2000年代半ばまで街を代表する存在だった「ヒョンデサムゲタン」の店主が、健康を回復した後に再び開いた店です。鶏出汁ベースの鶏カルグクスが看板メニューで、夏には薄氷の浮いた鶏の冷たい出汁に大根キムチ・きゅうり・鶏肉をのせたマッククス(混ぜ麺)が登場します。
6. 二村洞ミョノク(イチョンドンミョノク) — 国立中央博物館に近い二村路沿いの韓国料理店です。カルビタン・平壌冷麺・フェネンミョン(刺身冷麺)・王マンドゥが中心で、博物館の見学を終えて「ご飯だけ食べて帰りたい」という人に最も動線が短い店です。
デザート — この街がもともと強い分野
7. ザ・ルーシーパイキッチン(豊原商店街 1階, 20余年〜) — 韓国パイ専門店の先駆者的存在です。バナナクリームパイとミントチョコレートパイが看板メニューで、とくにミントチョコレートパイはペパーミントのホイップクリームが強く効いた、好みがはっきり分かれるタイプ。パイ以外のメニューを増やしながら、店名も少しずつ変えてきました。
8. トンビンゴ(二村路 319, 20余年〜) — かき氷専門店という業態自体がまだ珍しかった時代に開業した店です。きめ細かく削った氷、国産小豆を直焚きしたあんこ、餅が三つ。ただそれだけです。親から子へと口コミが受け継がれ、今では他のエリアからも人が訪れる街の名物になりました。
9. ブレッド05(チャンミマンション商店街, 2012年〜) — このリストでは最も若い店ですが、住民の間ではすでに「健康的なパン屋」として定着しています。20年キャリアのパン職人が天然発酵種を用い、前日に仕込んで熟成させた生地でパンを焼きます。チャバタに粒あんとバターを挟んだ「アンバター」、粉砂糖をまとったパンドーロが代表です。
🍽️ 東部二村洞 老舗9軒 一覧
| # | 店名 | ジャンル | 創業 | 代表メニュー | 場所 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | スズランテイ | 日本家庭料理 | 1998 | 定食・鍋料理 | 商業ビル地下 |
| 2 | サヌッキ | 日本式丼もの | 1990年代初頭 | 豚カツ鍋・カツ丼 | レックス商店街 |
| 3 | ミタニヤ | 日本食 | 1990年代 | マグロ丼・エビフライ | 三益商店街 |
| 4 | ハンヤンスナック | 粉食 | 1987 | 米トッポッキ・ごぼうキンパ | 新東亜ショッピング 地下1階 |
| 5 | ソダムカルグクス | 韓国料理 | 2010年代(系譜1990年代) | 鶏カルグクス・マッククス | LGプラザ 地下1階 |
| 6 | 二村洞ミョノク | 韓国料理 | — | カルビタン・平壌冷麺 | 二村路沿い |
| 7 | ザ・ルーシーパイキッチン | デザート | 2000年代初頭 | バナナクリーム・ミントチョコパイ | 豊原商店街 1階 |
| 8 | トンビンゴ | デザート | 2000年代初頭 | かき氷 | 二村路 319 |
| 9 | ブレッド05 | ベーカリー | 2012 | アンバター・パンドーロ | チャンミマンション商店街 |
半日あれば、どう巡ればいいか
東部二村洞だけを目当てに訪れる旅行者は、ほとんどいません。国立中央博物館と二村漢江公園のあいだに組み込むのが最も現実的です。
- 二村駅 2番出口の改札脇にある地下通路「博物館ナドゥルキル」(約250m、7:00〜23:00通行可)で、国立中央博物館へ直結しています。地上に出て迷う必要はありません。
- 二村漢江公園は二村駅から徒歩13分ほど。汝矣島(ヨイド)方面へ漢江越しのスカイラインが望める区間です。
- おすすめの順路:午前 博物館 → 商業ビル地下で昼食 → デザート(トンビンゴ または ブレッド05) → 午後 漢江公園。
日本人旅行者に特に
- ここは「日本食を出す観光地」ではなく、日本人住民が普段食べている街です。韓国風にアレンジされた和食ではなく、日本の家庭料理に近い味を期待できる、数少ないエリアです。
- 一方で、韓国人旅行者やその他外国人旅行者にとっては、1980〜90年代のソウルのアパート団地の商店街文化がそのまま残っている場所として、むしろそちらのほうが興味深いかもしれません。
- 街は静かです。夜9〜10時には商業ビルはほぼ閉まります。夕食が目的なら、早めの時間に動きましょう。
これから変わるかもしれないこと
二村洞一帯は、アパート再建と龍山国際業務地区開発の影響圏にあります。商業ビルが丸ごと姿を消せば、その中の老舗もともに消えます。この記事で取り上げた店々は数十年を生き抜いてきましたが、これからの数年は、これまでとは条件が違います。訪れる前に、営業状況を一度確認されることをおすすめします。
データと出典
- 東部二村洞 老舗グルメ5選 — Esquire Korea(在住30年の住民取材, 2020) https://www.esquirekorea.co.kr/article/48246
- ソウルの中の日本、韓国と融合した「リトル東京」二村洞 — NewsPim(2017) https://www.newspim.com/news/view/20170830000226
- 「ソウルの中の日本」東部二村洞をご存知ですか? — ソウル市情報疎通広場 https://opengov.seoul.go.kr/mediahub/9143633
- ソウル日本人学校 — Wikipedia https://ko.wikipedia.org/wiki/서울일본인학교
- 二村駅・博物館ナドゥルキル案内 — 国立中央博物館 https://modu.museum.go.kr/notice/71
- スズランテイ・ブレッド05 紹介 — Daumニュースアーカイブ / Dining Code 店舗情報
価格・営業時間は掲載時点の公開情報に基づき、現地確認後に確認日を更新します。